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追想

おまけです・・・・
高台の草原で、僕は一人の女性と並んで腰をおろして、ススキが風にゆれているのを黙って眺めていました。やっと合唱団の本隊が到着し、合宿が始まってすぐの事だと思います。
黄昏にはまだ少し間があった時刻です。

この旅の出来事を思い出しながら、彼女に伝えきったところで言葉が途切れ、なんだかちょっと照れくさい気持ちになりました。

(この情景は今でもよく思い出します。特別に彼女と付き合っていたわけではないのですが、何故か二人で、この草原に並んで腰をおろしているのです)


きっと最後の顛末も話したはずやなあ。

ん・・皆さんも聞きたいってか・・・・。わかりました。
じゃあ、オマケということで、このシリーズ最終回。
ほんまの最後やで。


湖に着いたはいいものの、合宿する旅館は、名前しかわからない。
とりあえず、地元の人に尋ねながらなんとかその場所につきました。

玄関で挨拶をしたものの、ご主人も女将さんも仰天しっぱなしで埒があかない。まだ合宿開始の予定日には3,4日あったはずやな。
こんなに早く来られても困るし、そんな格好でも困る。とのこと。

まあ普通の反応ですわな。


僕としては、皆が来るまで、旅館の仕事をなんでもいいからお手伝いさせて頂いて、宿泊と食事の面倒をみてもらおうという虫のいい腹づもり。

なんとか明日からはその条件で働かせてもらえることになったものの、今晩は部屋に空きがない。

もし泊まるなら、もう少し山を登ったところに別棟の宿泊設備があるから、今日のところはそちらに泊まってほしいとのこと。


僕としては、それでも願ったり叶ったり。
とりあえず目的の旅館にたどり着けたことで、一気に気力は萎えてしまっていたけれど、元気をふりしぼって山道をのぼってゆきました。

雨上がりの急な山道はシンドかったです。

やっとのことで、すこし上にあった簡易宿泊所にたどり着き、泥まみれの足を洗い、タオルを水に濡らして身体を拭き清め、とりあえずの宿泊用の毛布のようなものを身体にまきつけて僕は横たわりました。

シーンと静まりかえった山小屋にひとり。
でも少しも怖くはありませんでした。
山の夜の空気はつめたく、自分の体温だけが自分自身を温めていたのですが、それほど寒さは気にはなりませんでした。

八日間の思い出が次々とまどろみの中に現れては消え、消えては現れするうちに僕は深い眠りに落ちてゆきました。




翌朝から旅館での仕事・・・宿泊者の布団の上げ下げ、玄関の掃除、廊下の掃除、雑用をしながら本隊の到着を待ちました。
彼等が到着した時には、いっぱしの使用人面(づら)をしていた事でしょう。

本隊が到着するやいなや、僕は団の責任者に変身。
旅館のご主人女将さんも、二度ビックリなさったことでしょうね。
今度は客の代表としてお二人と向かい合うことになったわけですから。


そんな話を、すべて、そのススキの中で彼女に伝えたんでしょうね。
「フーッ・・・」と溜息が聞こえたような気がしました。

「ぼちぼち、晩御飯やで、帰ろうか」
二人はゆっくりと腰をあげ、みんなが待つ合宿所の方に降りてゆきました。


未だに、彼女に会うとその情景を思い出してしまうのです。
あの時、風にゆれていたススキの穂の白さが、今も目の奥に焼きついています。その話をすると、きっとまた笑いながら「なんで、あそこに二人でいたんだろうね」って、彼女は言うだろうなあ。

淡き青春の思い出・・・・

これにて完結。
ハチャメチャな旅日記でしたが、最後の〆は柄にもなくちょっとシミジミ系でまとめてみました。

最後までお読みいただき有難うございました。


旅の終わりに

旅の終わりに・・・
なんとか歩いてきた。
八日間で210キロ。日割りにすれば、一日26キロほど。何しろ下駄やから、まあ、1時間あたり3キロ。
一日8時間〜10時間は歩いていたんやろうなあ。

・・・そんなもんか・・・と言われたお方!

まあ、やってみんしゃい!
下駄でっせ! 足指腫れまっせ!!
袴でっせ! みんなにふりかえられまっせ!! 笑われまっせ!
蟻にかまれまっせ!! ネズミになめられまっせ!!

(あ、すみません、急に態度が大きくなって・・・)



最終日を祝うかのように、空は信濃路独特の蒼さで広がり、風は緑の香りをはらんで僕を目的地に誘っていました。

今日で終わる。すべて終わる。

その喜びは、痛んだ足にも伝わり、一応足取りも軽く宿の方々の見送りを受けて意気揚々と、僕は最後の一日を開始したのでした。

本当に気持ちのいい天気でした。



そう、・・午前中はね。
でも昼を過ぎたあたりから、急に風向きが変わり、突然の驟雨。
堪らず飛び込んだ廃屋で、僕は重大な事に気がついてしまった。


昨日までは、甲州街道、いわゆる20号線を、ただただ辿っていればよかったのですが、今日からは・・・

この道を歩いてゆく事になるのです

(上記に地図リンク)


152号線から大門街道へ。
ちょいと今までとは勝手が違う。その確認のためにナップサックに入れておいた筈の地図を取り出そうとして、かなり焦った。


確かに出発の時にはあった地図。
そして、二日目の山越えの時には、それを判断の材料として覗き込んだ地図なのです。それが・・・・

「ない!」

まるで合宿で練習をする予定になっていた合唱組曲「旅」そのもののようになってしまった・・・・・地図も無くした旅の終わり・・・・・。



気を取り直し、雨上がりの道をノロノロと歩き出してみたものの、
こいつには少々参った。とどめの衝撃、いざ除幕。



そして、案の定。
152号線から大門街道にはいる道を間違えたのだろうなあ・・・。
夕刻近くになっても、僕はまだ腰の高さほどのススキの中をさ迷い続けていたのです。


きっと・・そうやな・・
あの地図はあの日、あの山中に放りなげてきたんやろうなあ。

その後は地図を見るよりも、通りがかりの人にたずねて20号線を確認していれば事は足りていたわけだ。

だが、この道を歩いてゆく人は今はいない。


いまさら悔やんでみても仕方が無い事です。


そんなことより、ここであの日の二の舞を演ずるなんてまっぴらごめん。
足元は雨上がりの赤土に下駄が取られそうになり、いまや下駄はナップサックに仕舞い込み、素足で歩いていました。



今考えると狂気の沙汰であったかもしれない。

傷口が開いたままの指は、破傷風菌にとっては恰好の餌食。
けれどそんな事はお構いなしに、僕は唸りながら徘徊をし続けていた。


まるで手負いの猪である。ぶち当たるまではひたすら猛進。
何回かの突き当たりに戸惑い、挫折しながらも、僕は勘だけを頼りとして黄昏の中をさまよい続けました。


行く手に、小高い土手のようなものが眼に入った。
あそこに登れば少しは周辺を見渡す事ができるに違いない。

あの二日目、二人で崖を転がり落ちた。
今日は一人でこの土手をよじ登る。

ススキを束ねてつかみ、足を赤土に突きたてながら僕は必死に上を目指した。
耳の奥がキーンと音を立てていた。

(なにしてるんやろ・・俺)

やっと顔が土手の上にでた瞬間、とうとう僕は観たんです!!
目の前に広がる静かな湖面を!

最後の一蹴りで僕は半身を土手の上に運び上げ、
さらにしっかりと確認をしました。

   湖や!! 着いたで〜!!!


それに、すぐ傍には「白樺湖」と書かれた標識が立っているではありませんか!  

土手の端から距離にして湖面まで20mほど!!


その時僕自身がどんな顔をしていたのかは想像もつきません。
ただ、近くの湖畔を散歩していた男女のカップルが後ずさりをした様子だけは妙に印象に残っています。

妙にって・・・・言ったってネエ・・・。


赤土まみれの白絣の胸元をはだけ、ボロボロの袴に角帽を被った男が、やにわに土手の下から這い上がってきたんだものねえ。
相当ビックリした事だと思いますよ。


けれど僕はおもむろに、土手の下から腰を引き上げ、袋から下駄を取り出し、絣の襟を整え、袴の帯を締めなおし、何事もなかったかのように合宿するための宿を目指しました。

ん・・?
宿のある場所?そんなもんはどうでもよかったんです。
なんならこれから湖を一周してもいいと思うほど昂ぶっていました。

ここは「白樺湖やもん」!!


まだ暮れきっていない湖面には少し霧が降りていたようでした。
湖面を渡ってくる風は、火照った身体を一気に冷やすほど、
もうすでに初秋をはらみはじめていたようです。

その中を、僕はゆっくりとゆっくりと歩みました。
最後の一歩一歩を慈しむような気持ちで

武勇伝 武勇伝 いよいよ佳境

武勇伝もいよいよ佳境ってか・・・七日目


さて、多分、その日も朝早くから歩き出したんでしょうねえ。
大学の大隈さんと別れてから、もう一週間ですわ。

下駄は、もう三足目だったと思います。下駄の歯が擦り切れて、最後は、鼻緒が直接地面でこすられて、その挙句、歩いている途中に、いきなり切れるんです。

あ、思い出した。一回どこかのお姉さんに鼻緒をすげ替えてもらった事があったのを思い出したわ!!



どこやったかなあ。前日の意識混濁の一日だったかも知れないなあ。


その、お姉さん、僕が難儀をしているのを見て声をかけてくれて、確かピンク色のハンカチを裂いて、僕の鼻緒を一時的に補修してくれはったはずや。

うん、そうやそうや。


綺麗なお姉さんやったような気がしてきた。年の頃なら30前後やったやろか。紺のタイトスカートで、真っ白の半袖のブラウス着てはった(ような気がする)。その補修の間、僕は近くの石に腰を下ろして、何故かサイダー飲んでたなあ。


そして、その後おねえさんは、僕の目的地をたずねて眼を見開いて驚いていた(ような気がする)・・・そんだけや・・・ホンマにそれっきりやで。


いくら空白の一日といえど、なんぞあったら覚えてるはずやもんなあ。



それで、この七日目の朝は下駄を買うところから始まって、山越えにはいったんやろうな。

ほとんど雨知らずの旅でした。
この日もカンカン照りの中を歩いてゆきました。


あれは3時くらいの事やったかなあ。
僕は歩いてゆく道に沢山の赤いシミができていることに気がついたのです。

改めて目を凝らしてみると、これから下ってゆく道の先にも、そんなシミがいっぱいある事に気がつきました。

なんやったと思います?

赤とんぼなんです!!

赤とんぼが一杯道に落ちているんです。
ホントに!落ちているんです!


きっと高速で下ってくる車のフロントガラスにぶつかるんじゃないでしょうかねえ。

そして一時的な脳震盪(トンボの脳は・・ようわかりませんけど)を起こして落ちてしまうんでしょうねえ。


哀れに思いました。

僕は何匹も拾い上げては、とりあえずは僕の指にとまらせたまま歩き続け、彼等が我に帰って大空に飛んでゆくのを何度も何度も見送りました。


詩的な情景でしょ。でも本当なのです。


拾い上げる事ができなかった赤とんぼたちの中には、猛スピードで下ってくる車に轢かれていったものも多かったはずです。
僕に拾われるか拾われないかが生死の境目。
複雑な気持ちになります。



その日は諏訪に宿泊する予定でした。
ですから、その目的地に着くまでは歩き続けなければなりませんでした。

夜の8時くらいになっても、僕はまだ歩いていました。


ある集落に入った時、お盆の迎え火を焚いていたのでしょう。
「あ、お兄ちゃんが帰ってきた!」という少年の声で、一塊の人たちが一斉に僕の方に向き直りました。

都会から帰省してくる兄を待っていたのか、それとも彼岸の果てから戻ってくる兄を待っていたのか・・それはわかりませんでしたが。

その人たちの傍を足早に過ぎ去り、僕はしばらくして、やっとのことで諏訪の街に入る事ができました。夜10時位の到着です。

その夜宿泊した旅館の事は、しっかり覚えています。


あてがわれた部屋は二階。僕はその階段を登るのに10分以上を要したのではないかと思います。土色になった白絣の着物にボロボロの袴。

下駄をつっかけた足は腫れあがり、二階にさえ登れない妙な青年を、呆れた顔をして眺めていた旅館の方の顔はしっかりと思い出すことができます。

目的地まで、あと30キロほどの地点。
明日は、いままでの20号線を離れ、いよいよ白樺湖へと北上する道に入る事になるのです。
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